1900(明治33)年~1904(明治37)年までの當麻小学校のヒストリー
日露戦争
日清戦争ののち、日本とロシアは、朝鮮(韓国)をめぐり対立するようになりました。
日本国内では、戦争に反対する人もいましたが、ロシアと戦うべきだという意見が高まり、1904年に日露戦争が始まりました。
日本は、多くの犠牲者を出しながらも勝ち進み、東郷平八郎の指揮する艦隊が、日本海戦でロシアの大艦隊を破りました。
その後、アメリカの仲立ちで講和条約が結ばれ、ロシアは韓国から退くことになりました。
當麻小学校の体育館の南側、幼稚園との間に挟まれた駐車場に、日露戦争に関わる碑があります。「日露戦役記念」と書かれた碑で、戦争が終わった後の1906年に当時の當麻村が建てた碑のようです。
碑の裏側には、この戦争に出征(戦争に兵隊として参加した)した當麻村の人々の大字とお名前が書かれています。
読み解くと、當麻村からは71名が出征し、そのうち4名が戦争で亡くなっていることが分かりました。
日露戦争は、ふるさと當麻にも大きな影響を与えていたことが分かります。

「好きな教科は?」当時の子どもたちに聞きました。
明治の小学生に最も人気のあった教科は「修身」だったという調査結果があります。
修身とは、いまでいうと「道徳」にあたります。
当時の「修身」は、堅苦しいものではなく、「桃太郎」などのおとぎ話を読み聞かせたり、菅原道真など、歴史上の人物のエピソードを教えるという内容でした。
テレビもラジオもなかった時代、このような読み聞かせは、子どもたちには楽しい時間だったようです。
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