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150のHistory

150のHistory – episode18

1960(昭和35)年~1964(昭和39)年までの當麻小学校のヒストリー

アジア初 オリンピック開催へ

1964年、アジアで初めてのオリンピックが東京で開催されました。
戦後の廃墟からの復興を世界にアピールすることができました。

1954年に「岸壁の母」という曲がヒットしました。
この曲は、第2次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で引揚港の桟橋(岸壁)へ帰ってくる息子の帰りを待つ母親を歌ったものです。
こうした戦争色が色濃く残る音楽から9年後の1963年には「こんにちは赤ちゃん」が大ヒットしています。

♪こんにちは赤ちゃん……
はじめまして わたしがママよ♪

戦争の暗さなど一切感じません。
「母」が「ママ」になるなど、社会も大きく変化していたことが分かります。
またこの「講堂」「南校舎」「北校舎」「南中庭」などが相次いで建設されていたことが分かります。
また、社会インフラとして1959年に當麻村に上水道が完成したとの記録も残っています

さて、1964年の東京オリンピックの聖火リレーは、奈良県内も通過しました。
和歌山県から奈良県に入り、五條市、天理市、奈良市などを経由して京都府へと引き継がれました。
下の画像は、大和高田市今里の交差点を通過する聖火ランナーの様子です。

「奈良県立図書情報館」のサイトより

【PDFで見る】 150のHistory:episode18 1960(昭和35)~1964(昭和39)

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