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150のHistory

150のHistory – episode1

1875(明治8)年~1879(明治12)年までの當麻小学校のヒストリー

学校制度始まる

明治政府は、1872(明治5)年に、欧米の国々にならって学校の制度を定めました。
全国の町や村に小学校を設けて、一定の年齢になれば全ての子どもに教育を受けさせようとしました。

葛城市でも、この時期に當麻小学校や新庄小学校が設立されています。

1874(明治7)年に大字當麻に「第67番小学校致芳館」という名の学校が創立され、翌年の1875(明治8)年に「當麻小学校」と改称されています。
當麻小学校の創立年はこの名称変更にちなんでいます。

なお、「當麻小学校」以外にも、「染野小学校」という学校もあり、両校は1876(明治9)年に合併しています。

学校制度が始まった当初は、学校の建設費や授業料の負担が重くて、小学校に行くことができない子どもが多くいました。
しかし、学校制度の改革が進むにつれて、通学する子どもがしだいに増えていきました。

<参考文献>
「小学校社会6年」日本文教出版

シリーズ そのころ社会で起きていた ~西南戦争勃発~

明治政府による様々な改革に不満をもつ士族は、各地で反乱を起こしました。
當麻小学校が創立したころ、1877(明治10)年、鹿児島の士族たちが、西郷隆盛をかついで、西南戦争を起こしました。
戦いは、8ヶ月も続きましたが、新しい武器を持ち、訓練された政府の軍隊によってしずめられました。
<参考文献>
「小学校社会6年」日本文教出版

この顔は「西郷隆盛」?

西南戦争時に士族にかつがれた西郷隆盛。

NHKの大河ドラマ「西郷どん」の主人公であり、明治維新の立役者としても知られる西郷隆盛。

その西郷隆盛と言えば、下の肖像画(小学生の中には写真だと思っている子もいます)を思い浮かべる人も多いかと思います。

この肖像画は、イタリアの画家エドアルド・キヨソネによって、西郷隆盛の死後、西郷隆盛の弟「西郷従道」と従兄弟「大山巌」をモデルとして描かれたものです。
実際、この肖像画が西郷隆盛と似ていないという声も残っているそうです。

<参考文献>
「鹿児島県総合教育センター」HPより

150のHistory:episode1 1875(明治8)~1879(明治12)

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