1935(昭和10)年~1939(昭和14)年までの當麻小学校のヒストリー
この頃の思い出
「當麻小学校百十周年史」には、1927年から1940年の思い出が綴られています。
この思い出を紐解くと、次のようなことが分かります。
高田に飛行機が飛来したとき、みんなで高田まで歩いて見に行った。
当時は當麻地区で自動車を見ることもめったになかったので、飛行機を見に行く前夜は興奮して寝付けなかった。
当時は40人の同級生のうち、中学校に行くのは3~4人ぐらいだった。
当時は農業が中心で、農家を継承させたいという親の願いが強かった。
この当時、小学生だった同級生は、その後戦争に行き、亡くなってしまった。
当時は夏になると、池で泳いでいた。
高学年が見張りをして、安全を監視していた。
1931年に郡の運動会があり、男女とも4人組リレーで優勝した。
當麻小学校はじまって以来の慶事だということで、全校児童が駅まで出迎えてきてくれた。
ご褒美に当時としては貴重なノート5冊をもらった。
また、当時當麻小学校に勤務された先生が「素朴な児童が多い」と回想されています。
これは今にも通じることのように思います。
新運動場完成
1937年に新運動場が完成したという記録が残っています。
この運動場は、現在のプールと体育館、その南側にあったという記録が残っています。
この頃の當麻連座


奈良県立図書情報館 奈良の今昔写真Webより
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