ここがふるさと當麻~當麻に育つ喜びを語り合う~そして未来へ

150のHistory

150のHistory – episode4

今の場所「染野32番地」當麻小学校移転

1890(明治23)年~1894(明治24)年までの當麻小学校のヒストリー

「110周年史」によると、1893 明治26)年5月27日に現在の場所、染野32番に校舎落成、開校式を行ったという記述があります。
新校舎を建設したのは児童数の増加だとも記述されています。

さて、新校舎の大きさは90坪とも書かれています。
90坪は約297㎡ ですから、正方形の90坪の場合は約、一辺が約17mの大きさになります。

汽車がやってきた、徒歩で通った?下田駅

奈良県はじめての鉄道路線は、「大阪鉄道」という民間会社による営業であり、国有化はしばらく後のことになりました。

1890(明治23)年に奈良―王寺間、1891(明治24)年に王寺―高田間が開通しました。
當麻からの最寄りの駅は「下田駅」(現在のJ R香芝駅)になりました。
當麻小学校からの距離は3.1km、徒歩だと40分程かかります。

なお、初めて汽車に乗車した人の中には、汽車に乗り込む前に靴(下駄)を脱いでしまい、到着地についたときに靴(下駄)がなくなっていることに気づいたというエピソードも残っています。

シリーズ そのころ社会で起きていた ~日清戦争勃発~

奈良県内を汽車が走り、當麻小学校が現在地に建てられた頃、日清戦争が起こっています。

この頃、欧米諸国はアジアの国々に進出し、工場や鉄道などをつくって大きな利益を得ようとしていました。
日本と不平等な条約を結んでいた朝鮮では、政治や経済が混乱し、農民の反乱がおきました。1894年、朝鮮政府が中国(清)に援軍を求めると、日本も清との条約にもとづいて、朝鮮に軍隊を送りました。
内乱がおさまり、朝鮮政府は軍隊の引き上げを求めましたが、両国は聞き入れず、日清戦争が始まりました。
日本は戦争に勝ち、台湾とリアオトン半島をゆずり受けるとともに、多額の賠償金を受け取ることなどが講和会議で決められました。

<参考文献>
「小学校社会6年」日本文教出版

150のHistory:episode4 1890(明治23)~1894(明治24)

コメント

この記事へのコメントはありません。

RELATED

PAGE TOP